| 長引く不況と 失業者の増加 | |
( 2002年7月作成、2002年11月加筆 ) その後、2006年、全国版のニュースでは、ゆるやかに景気が回復しているように報道されていますが会社に勤める個人と零細企業は、相変わらず厳しい状況が続いているように思います。 |
| 私が、このようテーマの文章を書くのは不似合いな気もするが、世の中的にも深刻な問題であり、私自身も現在失業者であるからだ。( 2002年 時点の話です。) いつからが不況かというと、人により解釈が異なるであろうが私は 90年半ばからと考える。 90年代前半、電子工業分野では、日米半導体摩擦のため、産業界の米といわれる ICのうちもっとも世の中に普及しているDIPタイプ(特に中小企業が使う)の ICを日本のメーカーは製造しない事になった。 当然、その後日本では DIP ICは不足するわけで、それを補う形で海外から ICが入ってきたかというとそうではない。 特にパソコン周辺機器を作っている中小企業は、材料を入手できずに、もろに打撃を受けた。 そして94年ごろから、海外製の安いDOS/Vパソコンが、日本に流れ込むようになってきた。 日本のパソコン関連メーカーは泣きっ面にハチというところではなかっただろうか。? これは、一つにはパソコン業界は時代の変わり目にさしかかっていたといえる。 今までの DOSの時代にはそれぞれの日本のメーカーの特徴を出したパソコンが売られていた。 IBM-PCAT互換機以外のパソコンがこれだけ普及していたのは日本だけである。 日本のパソコンの歴史はアメリカ以外の他の国に比べ、古く 8bitの時代から国内で独自の文化を築き上げてきた。 16bitの時代になって漢字処理が本格的に普及してきた。 その当時のCPUは処理能力がそれほどなかったため、漢字フォントのROMをハード的に実装していた。 また、この漢字表示の問題もあり海外製のパソコンが日本に入ってくる事はなかった。 ところが、94年ごろIBM-PCAT機にてソフト的に漢字を表示する DOS(DOS/V)が出始めた。さらにその上で Windows3.1が走り始めた。 これにより、漢字を表示するために日本のパソコンを使わなければならないという必要がなくなった。 Windowsは 見栄えのよいGUI環境により一般の人に対する受けも良かった。 更に、95年末に Windows95が発売され、NECのPC-98以外の 日本仕様のパソコンは、消えていった。 NECも徐々にPC-98の仕様を DOS/V機に近づけていった。 で、90年代半ば以降日本のメーカーは海外製の安いDOS/Vパソコンに対抗出来ないため、自社で製造する事をやめて台湾メーカー製などをOEMで販売するようになった。 まず、これによりパソコンを製造する工場が90年代半ば過ぎに相当数(というより殆ど)、閉鎖に追い込まれたと思われる。(唯一ノートパソコンに関しては小さい物を作るのが得意な一部の日本メーカーの生き残る分野となったようである。) そして、パソコンの仕様はハードはインテル、ソフト(OS)はマイクロソフトが支配するようになる。 これにより、日本のパソコンメーカーは、製造はしないで台湾のOEM、設計開発も全てアメリカ企業の受身で独自性を全く出せない状況となった。 それと価格競走が激しくなり、利益が出にくい商品となってしまった。 今、日本は工場の海外シフトで産業構造の空洞化、そして設計開発力も、アメリカの受身になっているため危ないといわれる。 パソコン業界だけみても、このような背景があり、日本の工場がなくなり雇用の場が減少していく事になった。 他の業界でも売上あるいは、利益の減少により リストラを行う企業が増えてきた。 そして、リストラを行う事が企業が生き残るため正当な手段となってしまっている。 また、中には さほど売上が落ちてないのに、そのような時代背景を理由に便乗して人員整理を行う会社もある。 そして、いずれ景気が回復するだろうと、リストラや規模縮小等を 行わず頑張ってきた中小企業は 2000年以降、息切れしてバタバタと倒産状態にいたっている。 今の状況では、いずれにせよ失業者が増える要因が蔓延している。 下の写真は、熊本のハローワーク(職業安定所)の始業とともに、建物内に、なだれ込んでいる失業者の方々の写真です。 私はこの多さを見て最初びっくりしました。( 2002年 夏 ) 私もハローワークに通いだし3ヶ月ほど経過したころ、以前見た人を何人か見ました。 そんなに大勢覚えている訳ではないので、たまたま失業給付金の説明のとき隣の席に座った方等をを覚えていたというだけです。 また同じ顔を見るとこの人たちも次の就職がなかなか決まらないのだろうなと思いました。 特に、40歳以上になると再就職が、かなり難しくなってきます。 企業も前向きに人を雇おうというところが少ないのと、雇うなら30代前半までというような感覚でいます。 というのは、企業としては、40代以上は リストラの対象として捕らえているようです。 特にコンピュータ関連の仕事は若い人にとっては有利ですが、40代以上の技術者にとっては厳しいものがあります。 昔、プログラマーの定年は30代半ばといわれている時期がありました。 それは、次から次へと新しいテクノロジーが出てきて、昔の知識ノウハウが役に立たないようになってくるからです。 そうなると、新しい物への順応能力の高い若い人の方が有利となります。 会社としてどうせ雇うなら長期に渡り使える技術者という事で若い技術者となります。 全ての会社がこうだとは、いいませんが不況も影響してこのような使い捨て感覚で技術者を使われている会社が増えているように思われます。 それと、もぐりの人材派遣業を行う会社が増えてきています。 本来は厚生労働省から人材派遣業を行う業者であることの番号を取得するようになっているそうですが、それをやってない小さな会社が増えています。 特にプログラマの世界では顕著です。 それは、2パターンあり、元々は自社で請け負って自分の会社内で開発を行っていたが客先の要望等で技術者を派遣させる必要にせまられた場合と、設立当初から、技術者を派遣する事を主業務として出来た会社です。 最近後者のパターンが多く、私が面接に行った会社の中にもそのような会社がありました。 請負業で、社員10名の会社で、新規分野の増員を行うためプログラマ、SEを求人します。 とあり、VC++、VBの開発経験者とあります。 社員10名とあるので、事務所内に10名居るのかと思っていたら、社長と経理の女性の2人だけでした。 事務所も 極めて狭く机2つと応接セットしか置いてありません。 いやな予感がしたのですが、やはり人材派遣業をやっていて残り8名は、他の大手企業やメーカーに派遣されているらしいです。 この会社は自社内にて開発作業をやる事は根本的に考えてないようで、人を派遣する事により毎月決まった収入を得られる事を業としているようです。 ( たまたま、1年後に この会社の前を通ったら会社はなくなってました。 理由は知りませんが... うまく行かなかったのでしょう。) また、派遣については以前このような話を聞いた事があります。 熊本の工場で仕事するはずだったのに現地に行ったら、東京のほうに行ってくれと言われ、Uターンで戻ってきたばかりなのにまた東京へいくはめになり、戻りたいにも戻れずにそのまま7年経過してしまった例もあるようです。 このような状況から常時、会社で技術者を抱えておくのではなく、必要なときに技術者を借りようというスタンスに変わってきたともいえます。 昔からこのような考え方の会社はあるにはありました。 特に大手に多く、自分の所で作ると高くなるから下請けに出そうという考え方です。 また会社によっては責任分解点が明確でなく親会社は下請けに責任をなすりつけようとするところもあります。 もちろん、外注を使う事により親会社は、直接 開発作業を行わないため、自社の技術的ノウハウの蓄積が出来ないデメリットもあります。 また外注が頻繁に出入りしていると秘密漏洩の危険性も高まります。 労働の形態も変わってきているといえるようで、今までどおり正社員で定年までいるというのは難しくなってきているようです。 自分で独立される場合は、資金面、その他 準備をそれなりにする必要があるでしょうし、契約社員、派遣社員等になられる方は、会社及び業務内容をよく調べてから決めましょう。 このような状況下において一つ明るいニュースだったのはノーベル賞を受賞された島津製作所の田中さんです。 あの方は、根っからの技術屋さんのようです。 管理職になるのを断りこれからも技術者としてやっていきたい。 と言っておられました。 技術者としては、羨ましい限りですが、もちろん今まで懸命にやってきた長年の研究成果な訳です。 それと、島津製作所の研究開発に関わる姿勢及び仕事を行う環境作りも良かったのではないかと思います。 短期的な売上だけを追いかける会社であれば、このような成果は出なかったと思います。 これから先 各企業は、研究開発分野にもっと積極的に取り組み、長年の経験ある技術者によるノウハウの積み上げをもっと前向きに考えてもよいのではないかと思いますが...。 ( 2003-12-24 加筆 ) 2003年、いつだったか忘れましたが、アメリカの企業で日本の終身雇用制が見直されてるというような記事をインターネットでチラッと見た覚えがあります。 へえーっと思いましたが、アメリカの企業も考え方が変わってきてるのかなとも思いました。 全ての企業が という訳ではないでしょうが、産業界において長期的にみて優秀な技術者が外に流れて他社で業績を上げている。 いなくなった技術者の代わりが確保しにくい。 自社の技術レベルの低下、ノウハウの蓄積が得にくい。 等のデメリットが目立ってきたのかもしれません。 私は、政財界に関しては全くの素人なので、勝手な解釈ですが、アメリカには、産業界と 金融界の2つの業界の考え方がぶつかっているのではないかと思います。 合理主義優先で必要な時だけ技術者を確保する考え方は金融界の指導が産業界に影響したのではないかと思います。 確かに短期的にはそれで収益が上がるわけです。 しかし、長期的に見ると会社に技術的な財産が残りにくいという損失にアメリカの産業界が気付き始めたのではないかと思います。 ( 2006-10-26 加筆 ) そういえば、2004年ぐらいだったかな。 日本の某自動車メーカーの車で、走行中に車軸につながるハブが折れる、走行中車が燃える。 これにより人身事故が起こる。 等のあってはならないトラブルが続発したニュースが流れていた時期があった。 一昔前は、日本の車は海外でも極めて故障の少ない高品質な製品という評価を受けていたように思う。 私の勝手な推測ですが、このような問題が発生した背景には、業績不振によるリストラにて、長年勤めたベテラン技術者を切り捨てたのではないかと思います。 このとき会社にとって財産である、技術的ノウハウまでリストラしたのではないかと...。 会社には経験の浅い若い技術者だけが残り、製品に対する十分な配慮が行き届かなかったのではなかったのかと思います。 一時期、儲かってる一部の会社を勝ち組、多数の儲からない会社を負け組というように表現されていたようです。 今は、それを2極化というように表現されてます。 あまり適切な言葉ではありませんが貧富の差が縮まらないと不況感は、底辺の層に長く居座ってしまうのではないでしょうか。? それと、就職したい個人においても、昔ながらの終身雇用制で無難にやっていこうという事では今の世の中に順応できないと思います。 私は、何度かの会社を面接して求人票では、50歳までと書いてあっても人事担当者は、30代半ばまでという事で物差しを引いていたり、あるいは人材派遣会社の過酷な状況を垣間見たので もう、会社に雇ってもらおうという気持ちが失せました。 そういう経緯があって個人事業主になり、インターネットの環境が広く普及したおかげで主に家で仕事をしています。 最初、仕事がまともにとれるのか続けていけるのか非常に不安でした。 今年で3年経過しましたが不思議と続いています。 仕事をするなら、私の場合ですが自分の得意な事で勝負したほうがいいと思います。 やった事のない新規分野に挑戦するのもいいでしょうが、得意な分野を持っておられる方ならそれを生かした方が早く収入につながるでしょう。 (長期的視野で、そのときの自分に合った新規分野を検討するのはいいと思います。) そして、続けるためには、昔とった杵柄のままでは現在通用しない場合があります。 自分の得意分野を現在に通用するように極める事が必要です。 最近なんとなく、感じている事ですが、極めれば道が開けるような気がします。 ( あくまで私の場合ですが... ) 一つには、うまく表現できませんが人生の波に乗るというような要素もあるように思います。 足場の悪い状態で、即座に体制を立て直そうとジタバタもがいてもうまく行きません。 そういうときは、ジタバタしない方がいいようです。 それと自分が何かやり始めて、それが軌道に乗るまでにはある程度以上の時間がかかります。 自分を信じて気長にコツコツやる事です。 このページを読まれた方の成功をお祈りします。 頑張って下さい。 |